SSブログ

語録 44

 最も確かな助けとなるのは、神に対する堅固な信頼と、来たるべき事柄について神から必ず与えられる警告や準備を聞く鋭い耳である。神に信頼する者は、その声をきく注意深さのほかは、どんな人間的な利口さを欠いてもよいくらいである。なにか重大なことが起こる時には、つねに神から予告され、あらかじめ慰めと約束とによって十分に力づけられ、行動のさなかにも、その人自身では出しえないほどの勇気を授けられる(『眠られぬ夜のためにⅠ』344頁)
nice!(0)  コメント(0) 

2022-10-30

語録 43 神の約束というものは、すでに聖書のなかで万人に与えられている約束はもとより、われわれがとくに自分の内部に深く感じたみ言葉(それはほとんど聞きとれない言葉のこともあれば、はっきりした言葉のこともある)を通じて受け取る約束ならばなおさらのこと、人間が自分でそのために何もしなくても、ひとりでにその約束が実現されるというものでは決してない。神の約束は、第一に、それが確実で信頼できるものだということを固く信じて受け取られねばならない。次には、それを実現するのに必要なすべてのことが、われわれ人間の側からもなされなければならない。神がわれわれの上に定められたことは、おそかれはやかれ必ず実現するのである。神の約束は決して変わらないが、われわれの態度しだいで、その実現はより容易にも、困難にもなるのである(『眠られぬ夜のためにⅠ』343頁)
nice!(0)  コメント(0) 

語録 42

 未来のことや、そればかりか、この世の終わりについて、いろいろ考えるのは、全然むだである。というのは、だれ一人、それについてただおおよそだけの見積もりも、予想もできないからである。キリストでさえそれを知ることができなかった(マタイ24:36)。このように分らないものであり、使徒パウロの預言も誤っていたということは(Ⅰテサロニケ4:17)、さらに劣った人間であるわれわれに対する一つの戒めであろう。およそ、われわれが配慮し、熟考すべきことは他にいくらでもある。未来のことを思いわずらうのは、われわれに命じられた事柄ではない。われわれにとっては、マタイによる福音書28:18-20のイエスの言葉だけで、全く十分である(『眠られぬ夜のためにⅠ』333頁)
nice!(0)  コメント(0) 

語録 41

 真によいもので神のみ心にかなうような事柄や人間は、宣伝などしなくても、人に知られるものである(『眠られぬ夜のためにⅠ』319頁)
nice!(0)  コメント(0) 

語録 40

 キリストみずからの言葉として伝えられるものは、きわめて大きな「真実性」(リアリティ)をもっている。これらの言葉は、つねに文字通りに受けとられねばならない。これはマルコによる福音書16の17・18にさえあてはまる。キリストの言葉が少しもぴったりしない場合、その人のキリスト教の信仰は、それがありうる、またあるべきものにまだ完全になりきっていないのである。(『眠られぬ夜のためにⅠ』319頁)
nice!(0)  コメント(0) 

語録 39

 神の恩寵によって高められる時には、いつもまちがいなく、人間による屈辱か侮辱がそれに先立つ。このことは、全く確かな前兆である。われわれは自分の持っている価値が、人間の善意か悪意かによって与えられるものではなくて、神の摂理によって授けられものだということを、はっきり悟り、これに従って行動すべきである。だから、そのように神によって高められることは、われわれを謙遜にするが、傲慢にはしない。また、そのような侮辱はかえってわれわれの心を堅固にし、確信を強めるものである。世の常の成りゆきとは正反対である。(『眠られぬ夜のためにⅠ』317頁)
nice!(0)  コメント(0) 

語録 38

 人が生涯に一度でも屈辱のなかに沈められ、そして無事に浮びあがることがあるならば、それは神の恩寵である。これが*イザヤ書48の10の意味である。*「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた。」(『眠られぬ夜のためにⅠ』316頁)
nice!(0)  コメント(0) 

語録 37

 われわれは勇気と内的平和を祈り求めねばならない。これ以外のすべてのことは、われわれに何の役にも立たない。この場合に、大きな慰めとなるだけでなく、見えざるものに対する信仰をも一層強めてくれるのは、これら(勇気と内的平和)を獲る力でさえ、しばしば明らかにわれわれの霊とは全く異なった霊から与えられるということである。そこでわれわれは、時には不幸のさなかにありながら、世にいう仕合せの中にあるよりも、かえって幸福であり、喜びに満たされるほどである。これが、見えざる世界の実在についての否定しがたい、まことの証明である。(『眠られぬ夜のためにⅠ』314頁)
nice!(0)  コメント(0) 

語録 36

 いわゆる「永遠の眠り」についた人びとが、この地上での生活についてはっきりした思い出を持ち、また、この世の生活になにか影響を与えることがあるかどうかは、私の知るかぎりでは、聖書のどこにも明白に語られていない。ルカ16:19-31参照。(『眠られぬ夜のためにⅠ』304頁)
nice!(0)  コメント(0) 

語録 35

 われわれがこの人生に召されたのは、それに興味がなくなったら、勝手にこの人生から出て行ってよいためではなく、むしろ、神が適当な時にわれわれを呼びもどすまで、自分や他人にとって有益な生活を営むためである。それに、自分勝手な死によって、おそらく人生は決して終わってしまったわけではなく、そのあとに別の、多分はるかに困難な生活がつづくであろう。(『眠られぬ夜のためにⅠ』304頁)
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。