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語録 32

 「キリスト論」、これは実際奇妙な言葉である。こういうこととは、躊躇なく縁を切るがよい。まず、かりにキリストがわれわれと同じ種類の、同じ生活条件をもった人間であるとすれば、特別なキリスト論など必要ではない。彼の生涯と事業を説明するには、よい伝記があればいいし、またそれで十分であろう。しかし、もちろんまだそのような伝記はだれも書いてはいない。それとも、彼はわれわれとは種類のちがった人であり、少なくとも、彼の前にもまた彼の後にも決してない程にまで、さらに適切にいえば決してないような仕方で、神によって霊的生命を与えられたとすれば、キリストの本性を、それともこう言ってもよければその二重性(神と人間の二重性)を、説明することはまったく不可能である。これについてはキリストみずからが実に明瞭に、くり返して述べており、すべて説明にわたることをあらかじめ拒んでいる。・・・このような教理問答の公式をあまり気にしないがよい。むしろキリストみずからが自分について述べていることに頼るがよい。もちろん信仰に基づいてである。というのは、いかなる時代にもそうであったように、今日でも、これ以上の説明は不可能だからである。(『眠られぬ夜のためにⅠ』281頁)
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