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語録 15

 「神がある人に神みずからを愛するという恩寵を与えたならば、その人は十分な浄福を授けられたのである。」この聖ボナヴェントゥラの言葉は、宗教もしくは神学と呼ばれるものの最も簡潔な要約である。(『眠られぬ夜のためにⅠ』180頁)
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語録 14

 真実にして最大の喜びは、被造物から受けるのではなく、造物主から授けられるものである。あなたが一旦この喜びを所有すれば、だれからも奪われることはない。これに比べると、どんな快楽も苦悩であり、どんな歓喜も苦痛であり、どんな甘美もにがく、どんな栄華もつまらないもの、またどんな娯楽もいやしむべきものとなる。*聖ベルナールの言葉(『眠られぬ夜のためにⅠ』180頁)
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語録 13 

 正しい祈りとは、元来それ自身神に聞きとどけられている祈りである。というのは、それは、神の恵みと愛とから、われわれに贈られるものであるから。「神はそのみ心にかなうことを祈るように、みずから私たちを呼びさまされます。しかも、このように神から賜った祈りと善き意志であるのに、それに対して神は私たちに限りない報いを授けられます。(ノルヴィッチのジュリアナ)」。(『眠られぬ夜のためにⅠ』201頁)
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語録 12

 われわれに起こる最もよいかつ決定的な事柄は、常に電光(いなずま)のような性質をおびるものである。それは、恩寵の光線であり、別世界から来る光の輝きであって、たいてい、真理の洞察を与えるばかりでなく、同時に積極的な行為への励ましでもある。その時、すばやく決意して、すぐさま実行するのが、人間のなすべき務めである。そうでないと、恩寵の閃光はすぐ消え去ってしまう。しかし、われわれが決心すると、それはまるで金の翼をもった鷲のように、普通には越えがたい障害をも飛び越えて、猛然とわれわれを高く連れのぼって行く。天国への道は、普通の学修の法則では全く計れない、きわめて独特な道である。それを経験したことのない者は、だれも信じようとはしない。(『眠られぬ夜のためにⅠ』300頁)
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語録 11

 キリスト教的世界観の本当の、確固とした基礎は、この世の悪と各個人の内なる悪とは「法理上」すでに征服されており、したがって大切なことは、この勝利を「事実上」それぞれの場合にも有効ならしめ、かつおし進めてゆくことである。これがすなわち、キリストを通じてただ一度だけ行われた、いわゆる「救済」の秘義であって、これを信奉するすべての人にとって、疑うことも、否定することもできない真理である。(『眠られぬ夜のためにⅠ』132頁)
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語録 10 

 つねに金銭に関して心やすらかな生活を送りたいと願うならば、たとえどんなに少額でも、その収入の一定の歩合を善行の目的のために使うことから始めねばならない。今日では、とくに古代や中世の有名な実例にしばしば見られたように、その全財産を貧しい人たちに施すようにとは、だれにも勧めるわけにはいかない。むしろ、財産を保存し、よく管理して、その収入を神のみこころに従って使用すべきである。(『眠られぬ夜のためにⅠ』123頁)
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語録 9 

 地上で罰が加えられないということがあるのは、われわれの見解からすれば、むしろ、この世ですべての勘定が清算されるのではなく、必然的になおそのさきの生活があるにちがいない、という推論を正当化するであろう。なぜなら、もしそういうことがなく、また、神も実在しないとすれば、およそ不正も、不正の意識もこの世にないであろう。(『眠られぬ夜のためにⅠ』95頁)
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語録 8

 夢は、ある人の主な生活内容をなすものが何であるかを示す目印である。夢がただ肉体的な事柄だけにかぎられず、もっと精神的になりはじめたら、それはよい徴候である。この段階に達した時に初めて、神の働きかけが行われているといえるのであって、それを見のがしてはならない。
 幻覚は、夢とは全く別なものである。すなわち、これは一種の内的な視覚(もしくは聴覚)であって、完全に目ざめているときに、きわめて明瞭に現われてくる。これはいつでも大へん厳粛な事柄である。
 さらに、気分が全般的に喜ばしさや元気にあふれているのは、これらとはまた違ったものである。こういう気分もわれわれの精神がみずから生みだしたものではなく、むしろ、自然的な抑圧状態から精神を立ち直らせようとするものであって、人生の最も大きな喜びの一つである。このような気分だけは、われわれの思想を内面化して、神にしっかり結びつくことによって、ある程度よび起すことができる。(『眠られぬ夜のためにⅠ』89頁)

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語録 7 

 なにが起ころうと、すべては神の御手から授けられるものと信じ、もはやいろいろと思いわずらうことなく、ただ開いた門を通って行くならば、その人の人生はすでに幸福になりはじめたのである。「神のかたわらにあること」、すなわち人間の魂に神の霊が「宿る」こと、これこそ本当に魂の幸福となるのである。神の霊の宿りは、それをこの世のあらゆる財宝にまして重んじるならば、まだきわめて不完全な魂にも起こりうるが、そういう決意がなければ、もっと完全な魂にもそのことは起こらない。(『眠られぬ夜のためにⅠ』74頁)
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語録 6

 内的な進歩が行われるには二つのものが必要である。それは、われわれに話しかける声と、それを聞くことのできる耳とである。
 われわれの精神とは全く別の、叡知をもって導くある霊の配慮が存在すると信ずべき理由がほかにないとしても、しかし次のような経験はその存在を裏書きするものではあるまいか。例えば、わたしの内的進歩に役立った書物はすべて「思いがけなく」私の行く手に現われたものであって、自分で探し求めた本からはいわば何一つ学ばなかったということである。おそらく、それらの本に学ぶべきことが何もなかったわけでなく、それを受け入れるにふさわしい時期がまだ来ていなかったからである。(『眠られぬ夜のためにⅠ』72頁)

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