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語録 74

 「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。・・・父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない。」(ヨハ6:63―65)。この宗教はいのちの塩であり、力である。この場合は、ただ讃美歌をうたい、祈りをささげるだけではいけない、なお活動し、おのれの義務を果たすのでなければならない。機械的なもの、単なる形式的なものは、キリスト教の最もひどく忌み嫌うものだ。キリスト教は、主みずから述べているように「霊といのち」である。そして、いつまでもその通りでなければならない。(『眠られぬ夜のためにⅡ』161頁)
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語録 73

 古き人間アダムを改善しようとしても、うまくゆかない。それをやってみれば、だれでもみなこの経験をするであろう。古き人のほかにひとりの別の新しい人が生れて、彼をしだいに征服し、追い払わなければならない。このことは、キリストがニコデモに説き示した(ヨハネによる福音書第3章)ことであるが、その当時からすでに神学上の最大の謎の一つであった。明らかにニコデモもそれを完全には理解しえなかったのである。現代のわれわれにとって、この教えは、とくにプロテスタントの教理問答書の主な教理の一つである、キリストによる「人間の罪の身代わりの贖い」の考えと矛盾する。実際この贖罪説は、おそらくただキリストへの愛によってのみ、上に述べた教えとも調和しうるであろう。(『眠られぬ夜のためにⅡ』145頁)
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語録 72

 マタイ福音書11の27。だれでも神やキリストを直観的な啓示によるほかに知るすべはない。それにもかかわらず、こんなにもおびただしい神学やキリスト論が書かれる、しかも今でもあらためて書き始められようとは!あなたはどんな種類の「イエス伝」にも信頼してはならない。たとえそれがイエスに好意ある精神をもって書いてある時でも。いかなる人間も、自分の力でそのような伝記が書けるものではない。そしてそれができる者は決して書きはしない。ある人がそういう本を書いたという事実だけで、その人に不利な証拠となる。(『眠られぬ夜のためにⅡ』135頁)
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語録 71

 (サム上3:4、19―21)もしあなたが生涯に一度でもこのような神の言葉を聞くことがあれば、あなたはこの地上生活で自分自身のためにはそれ以上なにも願わず、あなたの生涯の決算を莫大な利得を収めて永久に終えてしまい、その他の人生の宝をもはや求めようとは思わないであろう。(『眠られぬ夜のためにⅡ』133頁)
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語録 70

 金銭上の事柄については、いつでもきちんとしていて、あなたの境遇にふさわしいように心掛けなさい。だがそのために、必要以上に心を労してはならない。度を越えると、いきおいけちや貪欲になり、したがって益よりも害があるものだ。(『眠られぬ夜のためにⅡ』129頁)
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語録 69

 あすの日のための心配もなく日々をすごし、どのような場合にも、神の導きと明らかな指図を受け、こうしてできるかぎりの最も安楽な生活をいとなむことも可能である。(『眠られぬ夜のためにⅡ』118頁)
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語録 68

 もしあなたが、一度神の接近を体験したなら、その感銘は終生忘れることができないだろう。けれどもそれは、祈りによっても、儀式によっても、または断食やそれに類する方法によっても、招き寄せることはできない。むしろそれは、求めずして突然に、さながら旧約聖書の天使のように、訪れて来るのである。たしかにそれに似た幻像(まぼろし)もあって、これは求めて得ることができる。しかし、こういうものは恍惚状態にある聖者たちの神経を錯乱させたりするが、これに反して真の神の接近は、この上ない健康の実感と来世の存在の前味をあとに残すのである。さらに、それはつねに神のなにかの告知であるか、委託か命令であって、にせ物の場合のように、単に楽しみなどでは決してない。だが、現代人はこれについて何を知っているだろう!(『眠られぬ夜のためにⅡ』116頁)
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語録 67

 いわゆる「神の探求」については、列王記上第19章(特にその11、12節)にこの上なく見事に描かれている。それには、人生目的に対する絶望や火や嵐がつねに伴いがちである。しかし、正しいものはおだやかな説き勧めの声をもって訪れてくる。だが、パウロのように、かすかな神の声に向かって開かれた耳を獲得するまで、辛抱し抜く者はきわめてまれである。けれども、あらかじめ疾風怒濤の苦悩の時期を経なければ、人の心は十分に開かれることがない。そこで、確固不抜の信念が生じないで、ただ教義の習得と口まねになりがちである。(『眠られぬ夜のためにⅡ』109頁)
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語録 66

 主自身ばかりでなく、パウロも、来世の生活の様子については、ほんのわずかしか語らず、すでにこの地上の生活を未来の生活の準備としてきた人びとに、来世では疑いのない善福が与えられるという確実な期待を抱かせることで満足している。だから我々も、それで満足すべきである。肉体なしの生活が行われるということは確かである。また、来世では、神に一層近くなり、新しい精神的進歩をなすであろうということも、まちがいなく想定してもよろしい。だがその他のことはすべて確実ではない。この地上で交わったすべての人と再会できるか、またこの世での私たちの個性をそのままに保持するかどうかも、不明である。善き最終目的に到達するために、なおこの世で出来るだけのことをするのが、最もよい道である。(『眠られぬ夜のためにⅡ』105頁)
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語録 65

 離婚は時として必要で、その点にはもともとなにも問題はない。キリストが禁じたのもただ再婚だけであって、離婚は必ずしもそうではない。マタイ5:32参照(『眠られぬ夜のためにⅡ』98頁)
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