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語録 34

 聖霊は、いくらか怖い、ほとんど無気味なものではあるが、これはつねに見張りをおこたらぬ生きた真理の霊であって、真実あるがままに人間や事物を見るものである。すべての人間関係にまつわる全くの嘘、あるいは半ばの虚偽から脱け出るために、われわれはこの霊を授からねばならない。ガラテヤ5:22(霊の結ぶ実)を参照し、それにしたがって、この霊があなたや他の人の内にすでに宿っているかどうかを、容易に判断することができる。(『眠られぬ夜のためにⅠ』292頁)
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語録 33

 ヨハネ4:24、6:65、9:39、14:6について。われわれは、この世の生活では、神が何であるかを知ることができない。同様に、キリストや聖霊が何であるかも知ることはできない。もしわれわれが神の確かな存在について、キリストへの信仰の力について、また、われわれの霊とは異なった霊の光の本性について、われわれ自身の経験をもっていなければ、そのような人間的な教条(教理問答書や教理教本)についての死んだ教会的信仰以外のものを持つことはできないだろう。実際、いつの時代にも、多くの人びとの信仰はそのようなものであったし、今でもなおそうである。(『眠られぬ夜のためにⅠ』291頁)
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語録 32

 「キリスト論」、これは実際奇妙な言葉である。こういうこととは、躊躇なく縁を切るがよい。まず、かりにキリストがわれわれと同じ種類の、同じ生活条件をもった人間であるとすれば、特別なキリスト論など必要ではない。彼の生涯と事業を説明するには、よい伝記があればいいし、またそれで十分であろう。しかし、もちろんまだそのような伝記はだれも書いてはいない。それとも、彼はわれわれとは種類のちがった人であり、少なくとも、彼の前にもまた彼の後にも決してない程にまで、さらに適切にいえば決してないような仕方で、神によって霊的生命を与えられたとすれば、キリストの本性を、それともこう言ってもよければその二重性(神と人間の二重性)を、説明することはまったく不可能である。これについてはキリストみずからが実に明瞭に、くり返して述べており、すべて説明にわたることをあらかじめ拒んでいる。・・・このような教理問答の公式をあまり気にしないがよい。むしろキリストみずからが自分について述べていることに頼るがよい。もちろん信仰に基づいてである。というのは、いかなる時代にもそうであったように、今日でも、これ以上の説明は不可能だからである。(『眠られぬ夜のためにⅠ』281頁)
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語録 31

 今日でもやはり、どんな教会の正統的教義も、学問も、博愛事業も、それが人間の本性を変えないかぎり、われわれが真の生命にいたるのを十分に助けうるものではない。(『眠られぬ夜のためにⅠ』280頁)
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語録 30

 人間が神にささげることのできる唯一の贈り物は人間の意志であり、神が価値をおかれるのもその贈り物だけである(その他のものはのこらず神の賜物である)、そして、人間がその意志をすっかり神にささげるならば、その時、神は、こういうと不遜に聞こえるかもしれないが、神のみ心を人間のものとされ、その後は人間のすべての願いをかなえてくださる(もっとも、この祈願そのものも神によって導かれるが)。こうなれば、人間はただ祈願し、そして受け取ればよいことになる。また、神みずからが、詩篇81篇10節の「あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう」という言葉をもって、人間にそれを促していられる。(『眠られぬ夜のためにⅠ』278頁)
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語録 29

 自己愛から根本的に放たれ、それが心にきざすたびごとに、すぐさま生身の悪魔のように憎むようになれば、すでに神の恩寵にあずかっていると確信してよい。なぜなら、そういうことはわれわれの内部における神のみわざであり、神の臨在がなくては、決して起こりえないからである。(『眠られぬ夜のためにⅠ』271頁)
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語録 28

 クロムウェルが・・・従姉妹にあてて、私はもう給金を前払いで貰っていると書き送ったのは、全く正しい。・・・神は前もって支払いをされる。・・・天国はその主な部分を、すでにこの地上において、与えられる。(『眠られぬ夜のためにⅠ』264頁)
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語録 27

 われわれが「聖なる」と呼ぶ霊が存在する。しかし、この霊をあなた自身の霊ととりちがえたり、おまけに両方を混ぜこぜにしたりしないように用心しなさい。むしろ、どんなあなたの気分や傾向や学識によっても、またあなた自身の本性によっても妨げられることなく、純粋にあなたの心のなかで真理を語ってくれるもの―そのような何かがあなたの心に入って来なければならない。その語られる真理は、つねに、キリストが語ったことに基づいて述べられねばならない。そこから遠ざけようとするものは、いつわりの霊の言葉であり、その業である。(『眠られぬ夜のためにⅠ』240頁)
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語録 26

 われわれは、すべての宗教的真理を一挙に理解することはできない。反対に、それを受け入れる力が高まるにつれて、ただ次第しだいに授けられるものである。その力はたいてい体験や人間や書物を通じて与えられるが、ときにはもっと直接な仕方でなされることもある。キリストも、むずかしい場合には、「この言葉を受けられる者は受けいれるがよい」(マタイ19:12)と言いそえている。(『眠られぬ夜のためにⅠ』239頁)
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語録 25

 たえまない神との交わり(単に時どきではない)、すべての享楽とあらゆる種類のエゴイズムの完全な断念、これこそがあの当時と同じように現代においても、われわれ人間の内にはたらく神の力の秘密である。(『眠られぬ夜のためにⅠ』233頁)
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