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語録 159

 その中でウェズレーは次のように至当な言葉を述べている。「数かぎりない誤りのもとは、愛が神の最高の賜物であり・・・あらゆる幻視、啓示、顕現などは愛に比べれば取るに足らぬということを深く考えない点にある。宗教においては、これにまさるものは何一つなく、実際これより外に何もない。それゆえ、あなたは次のことを心に銘じなさい、神があなたをすべての罪から救い給うた瞬間から、コリント人への第一の手紙第13章に誌されている、あの愛を増すこと以外に努めてはならぬということを。あなたが死んでアブラハムのふところに送られるまでは、これより高くへ到ることはできない。」これは並みなみならぬ真理であり、とくに「より高きをめざす」人々にとっては真理そのものである。しかし、フレッチャーがその著「キリスト教徒の種々の段階への実際的応用」で、これに付け加えている制限を見のがしてはならない。「獅子や熊を殺し給うたお方、あなたのためにあれほど偉大なことをなし給うたお方が、いまやその祝福の冠たらしめるために、あなたのなかのゴリアテをも殺し給うた。ダビデの勝ほこる子の前に、野心に満ちた不信の自我は倒れてしまった。肉の心は切り取られ、聖霊による心の割礼があなたの胸のなかで完全に行なわれた。いまや神の国があなたのうちに建てられた。」(『幸福論Ⅲ』327頁)
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