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語録 141

 ひとたび生きてはたらき給う神を信ずるならば、その当然の帰結として、仕事をその僕たちに分かち与える神の知恵をも信ずべきはずだからである。しかしそれを別としても、いつも外見は最も卑小に見える人が、一切の不純を焼きつくす火である神の間近にあることに耐えられる者となり、またそれによって狭い周囲の人たち、あるいは広い範囲の人々のために不断の生きた祝福の泉となることができる。(『幸福論Ⅲ』285頁)
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