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語録 154

 とりわけキリストは、ただ現在の聖書のなかに見られるような形だけで彼の言葉を宣べ伝えることなど、毛頭考えてはいられなかった。むしろ、来たるべき世代ごとに、それぞれ聖霊に満たされた人々によって、自分の言葉が個人的に代言されることを、はるかに念頭においていられた。そして――これはわれわれのプロテスタントの考え方にやや反するが――もしあらゆる時代に、世論や時代精神や神学よりも信頼できる、それにふさわしく神の認証を得た真理の代言者が、それぞれ見いだされるならば、それは一つの恵みだと認めねばならない。ともかくも、神はつねにそのように配慮し給うたのである。(『幸福論Ⅲ』305頁)
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