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語録 142

 もしこの世がたんに偶然の生成と滅亡でなくて、何らかの英智的な究極因に基づくものだとすれば、そのような永生が在るにちがいないことは、われわれにとっては極めて確実である。しかし、来世がどのようなものであるかについては、ほとんど何一つ分かっていないということも、同様に確かである。実際、来世については、それが存在するであろうこと、そして、それは神の意志に従う生活であって、現在と同じく、またそれよりも一層まさったものであろうということ以外には、誰ひとり何も知らない。そればかりでなく、来世についてほんとうの啓示がなされても、現在のわれわれの把握力でそれを理解することはできそうもなく、ましてそれを他の人々にも分かるような言葉で表現することなどなおさらできそうもない。そこで、この問題については、来世では現在よりも物質的でない生活をおくり、そのなかで、根本的には不幸に陥ることなしに、自分の信念を主張できるようになるということ以上に、思いわずらうことをやめよう。将来のことはひとりでに生ずる。いつも空想が基になる予知の力とはかかわりのないことだ。(『幸福論Ⅲ』288頁)
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