神の実在のまことの証拠は、善の障害、つまり先天的あるいは習慣的な悪の傾向(これに対してこれまでその人は戦ってきたが、つねに徒労であった)から、神の力がしばしばただ一瞬の間に、しかも永久にわたって、人間を解放しうることである。この場合、その人はこのことを一つの出来事として、また、これまでしばしば試みながら無駄であった自己改善の決意とは全然異なるものとして、感ずる。このことについては思い違いは絶対に起こらない。これが「キリストによる救い」の意味である。(『幸福論Ⅲ』327頁)
2023-02-24 10:43
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