SSブログ

語録 158

 この信仰と生活の進歩は、単に知識や思考力が増すことではなく、しばしば激しい抵抗や苦痛のもとで具体的な何ものかが加わることである。極めて明瞭に気づかれることは、今や前と異なった状態が生じ、以前にはできなかったことができるようになり、また長い間いたずらに求めていたものや、あるいはただ持っているつもりだったものが、突然ほんとうに得られることである。だから、聖書がこの前進を新生にたとえているのは至当である。自然のままの人間は決して変わらない。あくまで利己主義者であり、享楽主義者のままである。この点では、唯物論や悲観論の主張はまったく正しい。人間は教養を得ても、ただいっそう洗練されるだけで、より善くなりはしない。しかし、そのような自然の人間とならんで、神の力によって別の人間が成長し、強くなっていくことは可能である。そしてこの新しい人間が、たえず自然の人間と戦い、これを屈服させ、しだいに死滅させていく。他方、この新しい人間はますます力と喜びにみちて、神と結ばれた生活に入っていくのである。(『幸福論Ⅲ』325~326頁)
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

語録 157 語録 159 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。